不穏な気配

私は夫が好きだ。

し、依存もしてると思う。

 

正直この世に親族と夫と子さえいれば

生きていける。

逆に言えばいなくなったら生きていけない。

 

辛い時も友達がいたから救われました!という話もよくあるだろうが、私はそんなに人生を大きく左右されるほど友情に浸かっていないのだ。それも悲しいことだが、仕方ない。

 

ともかく、お金の面でもそうだが

精神面でもかなり夫に依存しているのだと思う。

旅行だって、普通はたまには家族と離れて友達と行きたい!となるかもしれないが

私は遊びに行くのも旅行も全部夫と2人でいい。

(もちろん子も。というか私と子はセット、二人で一つなのでもう子は逆にカウントしない。)

気を遣わないのがいいのだ。

私は気を遣いすぎる人間なのだ。

 

楽しくても、人といると疲れちゃうのだ。

それなら夫と会話が少なくても楽なのがいい。

夫は喋る空気だから。とても良い意味で。

 

そして私は旅行も静かにするのが好きだ。

電車に乗って弁当食べながら黙々と景色を見たりするのがいい。

3.4人でトランプしながら行くような旅行でもいいが、とにかくわーきゃーやるのが苦手になってきた。

 

話は脱線したがそんなこんなで私は夫に依存している。

 

が、しかし最近ここ数年で最も大きな喧嘩をした。

元はと言えば私が夫に育児について指摘したが、その言い方が夫の勘に触る言い方だったのだろう。

 

そして勘に触った夫を見て私も勘に触ったのだ。

言われて当たり前のことなのに何故そんな態度を取るのだ?育児についてのことはもっと素直に受け止めろや、、と思った。

(今思えば私は育児への熱量がはんぱなかったようだ。色んなママさんの話を見ると、夫にはそんな多くは求めちゃいけぬし皆ある程度諦めつつ上手に暮らしているのが分かった。)

 

ちょっと育児について指摘しただけでそんな不満そうな態度よ。

そんなんならこれから育児について何も言えなくなる、、

私は育児について夫に何かを諦めるのは嫌だ。

 

そう思って私から話し合いを持ちかけたが

そこからヒートアップして、

まあ大げんかになった。

 

私は口が上手い方ではないし

夫は怒るとそりゃ怖い、というか怒ってる人はだいたい怖い。

喧嘩になると頭が真っ白になってうまく物事が伝えられなくなる。失言もあった。

 

とにかく離婚騒ぎになった。

まだ離婚すると決まってないのに

親権は渡さない論争。我々は浅はかでしょーもない。

(なんだかんだ親権は母親が強いらしいが、財力のない私は財力のある夫が財力を振りかざして良い弁護士つけて裁判に持ってって、、負けたらどうしよう!!とプチパニックになった)

 

こわかった、夫と離れるよりも、

この子を引き離されたらどうしよう。

夫がこの子の親権を奪おうとしてることに対して

とてつもない嫌悪感を抱いた。

 

し、なぜ育児についてより良い話し合いをしたいだけなのに、自分のプライドを守るための喧嘩をしてるのか、虚しくなった。

もう喧嘩の勝ち負けとかどーでもいい

謝って終わるなら何億回でも謝る。

でも、いいから育児の指摘はちゃんとのんでくれ。

ほんとにそれだけの話なのに、、

もちろん私の言い方や失言が夫の怒りの引き金になったことは反省するが。

 

なんだか喧嘩をして仲が深まるのって、

その喧嘩が終わった後に笑い話にできる時だけだよな。

 

その喧嘩についてはもう触れられない

その件については触れないように過ごす

 

そんな喧嘩の終わり方ばかりなのだ。

心の距離は離れていくだけだ

 

子供が生まれて、私の全ては子に注がれていると思う。

でも夫に依存はしているのだ。

 

今までは与え合ってきたのに、

今は私は夫には与えてもらってるが

私は与えられてないのだ。

 

何を?なんだろう、母性?

 

私も夫も生活が変わった。

でも私は会社を休み、生活の全てが変わった。なくなったものはない、子との愛しい日々が増えた。

 

夫は子が生まれても変わらず毎日働き、

日常生活は変わらないのに

私からの愛が減ったのだ。

(もちろん夫にとっても子への愛が増えたとは思うが、やはり物理的に考えて子といれる時間は少なく、生活の中心は今までと変わらず仕事と私だと思う。)

 

私は環境が心を育児モードに変えてくれたけど、

夫は環境がほとんど変わらないのに、

その育児モードに心を切り替えろと言われても

そりゃついていけないか、、

 

夫婦だからこそ何も臆さず意見を言い合える関係でいたいが、

夫婦といえど他人

また何か言って喧嘩になるのが嫌だ

夫にこれから気を遣って話をしなくちゃいけないのが嫌だ

すり減ってしまうよ

 

とにかく離婚は回避したが

今後何があるかわからないから

夢の専業主婦は諦めて

子のためにも自立したかーちゃんになろうと思ったね。

 

 

 

私は器が小さい

どーん!と構えてて、なんでもわははって笑える人間がいるとしたら私はその真逆だ。

ワンピースに出てくるシャンクスとかルフィとかみたいな、ジブリに出てくるおときさんとかおそのさんみたいな、わはは!てタイプじゃないのだ。自分が卑しくて悲しくなることがしょっちゅうある。

 

とにかく後悔するのが嫌で、なにかを決断するのにもすごい時間がかかる。しかも貧乏性だからお得な方を追い求めすぎて結局いい買い物や経験はできない。ただのせこせこした女。

 

夫は良い物をぱっと決めて長く使う。

私は白いTシャツなんかユニクロでいい、なぜTシャツに一万も払うのか?Tシャツなら1000円こすのも高いくらいだ。と思ってしまう。

 

でもやはり出来上がりをみると、全然違う

私は服は大量にあっても、何を着ても本当に決まらない。なんかださいのだ。

夫はやはりいいものを着てるからか、シンプルなのに洗練されてるように見える。

 

時にはいいものを買った方がいい。わかってる。

 

実はここ数日、ずーっと服のことで悩んでる。

職場に復帰前の挨拶に行くことになった。

(まだ復帰するとは決まってないけど)

 

仕事着で行くわけにもいかない。

普段着でかつ職場にいてもおかしくない、大人カジュアルで行かなきゃいけないのだ。

(そんな決まりはないけど)

そしておしゃれな服がない。

私は無駄にプライドが高い。プライドが高いというか、本当に恥ずかしい思いをしたくない。変な服で来たなこいつ、と思われてることを悟ってしまうのがこわい。

嫌なこととか恥ずかしいことがあると余裕で数年は引きずるタイプだから。

心の引き出しにしまいこんでトイレとかお風呂入ってる時にふと思い出してあああああ!てなるネタがたくさんある。浄化されないのだ。

いまだに小学生の頃友達のお母さんに注意されたこととか思い出して悶えるし。

 

で、子供を連れて服を買いにいけるわけもないからネットで服をあさる。

でも私は貧乏性だから、いいなと思った服が三千円超えてたらもう無理なのだ。

さすがにいい歳した大人が全身三千円以下の服を着てるのはやばいとは思う。

でも自分が気に入って買ったものもユニクロとかジーユーで似たやつがもっと安く売ってるんじゃ?ってなる。

もしちょい高で買った後にユニクロとかジーユーで似たものを見つけてしまった時に死ぬほど後悔しちゃいそう。

そこが、人間の器が小さいというか。

まあいっか、自分が気に入って買ったんだし!わはは!てなれないところが、しょぼい。

 

買い物は辛い、楽しくない。自分のセンスに自信がないし貧乏性だから。

 

そんなこともあってここ数日、ずっとネット通販をすみからすみまで見て、安くて可愛くて質の良さそうな服を探し続けてる。苦しい。

我が子が一人遊びをしている時を見計らってネット。なんだか最低なことをしてる気分になって、明日からはもうこんなのやめることにした。

服は結局買えていない。どうしよう。

 

あと、器が小さいと思ったこと

会社に挨拶に行く日を伝えるだけだから忙しそうだし時間をとってしまうから電話はやめようと思って、課長にはLINEにした。

LINE送った当初はその行為が正しいと思ってたけど、送った後からじわじわと、

やっぱり電話じゃなきゃ失礼だったんじゃ、、?と悩み出して、

結局課長から返事がくるまで約一日モヤモヤして苦しんだ。

 

なんだ、私って本当に。心配性だし器が小さいというか度胸がないというか肝が座ってないというか。本当に面談くさくて損な性格だ。

 

いつも誰かと遊んだ日も絶対一つくらいは後悔を持って帰る。

あの話すべったよな、あれは自慢になっちゃったかな?あれは聞かない方がよかったのかな?、、、苦しい、私は小さい人間だな!

 

根拠のない自信がある人が羨ましい。

鈍感力が強い人間が羨ましい。

 

そういう人は、面と向かって悪口は言われない、それ変だよ、その服おかしいよ、と指摘されることもない。だってすんごい自信満々な人にはあんまり指摘できないから。

 

もし陰口を叩かれてたとしても、根拠のない自信に満ち溢れてる人は鈍感だからきっと気づかない。

 

根拠のない自信は別に悪い意味で言ってるわけじゃない。自分を愛してるんだな、ってゆうのが羨ましい。

自己肯定感が強いのだ。生きてく上で本当に大事なことだと思う。

我が子は自己肯定感の強い子に育てたい。

 

すんごい努力家で血反吐を吐きながら結果を出してきた、根拠ある自信に満ち溢れてる人も羨ましいけど、(わたしには絶対できないから)

私は根拠のない自信に満ち溢れてる人が羨ましい。

 

私は人の顔をすっごく気にしちゃう。

気遣いすぎて疲れるし多分空回りもしてる。

本当は心の中にユーモアが浮かんでも、人前で滑るのが恥ずかしくて押さえ込んじゃう。

いつか居酒屋でなんかギャグ言って大すべりしたことがトラウマになってるんだと思う。あれは恥ずかしかった。

 

その分家族や夫の前では自由に過ごしてるし相手のリアクションなんか一切気にしてないから気が楽だ。ありがたい。

 

とにかく色んなことにおいて私は器が小さいということ。せこせこ生きてる。

ただ、日々自分との内なる闘いをしているだけであって、決して自分のために人を陥れようという気持ちは全くないところだけは褒めてあげたい。

私は心配性

私は本当に心配性だ。自分で言うのもなんだが、実家こそ貧しい部類だったが現在は結婚し家も出て、特に大きな心配事もなく暮らしていけてると思う。

 

それなのに、私はいつも何かの不安に駆られている。病気になるかもしれない、明日は目が覚めないかもしれない。夫がお腹が痛いと言っている。病気じゃないか?

家族から連絡が返ってこない日には、何かあったか!?と、一日何も手につかなくなる。とにかく日々何かがこわい。(だいたい健康についての不安)

夜中にはよく、「この先どんな痛いことが待っているんだろう」なんて驚く程抽象的な不安に駆られる。

ちなみに閉所恐怖症だから宇宙船に閉じ込められることを想像して発狂しそうになることもある。

とにかく私は面倒くさいやつだということは自覚している。精神科にいくようなことではないが、昔から心配性なのだ。

 

ちなみに、自分の暮らしが現在平々凡々いわゆる幸せだということも、人に言われたらそうだよねと否定はしないが、自分の心はそうは思っていない。幸せを信じるのがこわい、幸せだ!と喜んだ途端に起こる次の悲劇がこわい。

とにかく幸福度のハードルが高い、損な性格だ。

 

そんな今日、いつもいつも夜中に不安に駆られることのトップ3を争う、

「いつか痛いことが起こる」が起きた。

 

私は現在仕事はしておらず家に子供とこもっている。

だいたい昼前に子に離乳食をやって、なんとなくその流れで夫の夕飯を作る。

(ここで夫の、というのは、夫が夕飯がいらなければ私は自分のご飯なんぞ米と納豆で済ますからだ。作れば私も食べるけど、"二人の"夕飯じゃなくて"夫の"夕飯を作る気分になる。なんか嫌な嫁だ。)

 

我が家のサラダは大体レタスかキャベツ。

今日はキャベツにしよう、そして特大のキャベツスライサーを手に取った。これ、キャベツ半玉一気にスライスできるくらいでかいやつ。

さらっさらってスライスできるから楽チンなのだ。でも事は起きる。

そう、完全に慢心だった。スライサーにはちゃんと注意書きがある、指に気を付けろと。

思い出してもぎぇ!!てなる

 

あー痛かった 本当に。薬指をやった。

ここから私は大袈裟に騒ぎます。

 

最初はパニックだった。

「あ!これやったわ!」

指を見るとどんどん血が出てくる。赤いな!

とりあえず水で流す、痛い、水が痛い。

 

とりあえず絆創膏だよね!?安直な考えで絆創膏をとりに走る。でも絆創膏はっても止まらない血、白いところじゃ飽き足らずぜーんぶ血で染まる、ああ痛い

血もそうだけど、スライサーで指を切るという事実がショック、

スライサーで指を切る、私が??私が切ったの??スライサーで??痛くない?そんなの痛いに決まってるよね。指先くっついてるよね、、?(くっついてる)

 

ここで私は強烈な目眩と冷や汗と吐き気をもよおす。今となっては大した出血じゃなかったろうけど、あの時は救急車呼んだ方がいいのでは!?レベルで出血してるように思えた。

でも指先もくっついてるし、呼ぶ事はない。

 

すぐにスマホで包丁 ゆびきった みたいに調べた。

とにかく流水でしばらく流してタオルで抑えるんだって、心臓より高くして。消毒液はその時は使うなと書いてたな。家にないけど。

(心配性だけど面倒くさがりなのでいざという時のことはあまり知らないし備えも甘い。反省。)

 

死ぬ思いで一度貼った絆創膏をはがし、強烈な吐き気と戦いながら再度流水で流す。でも立ってられない。無理だ、無理無理座りたい横になりたい。

 

前までの私ならまじでその場で横に倒れ込んであーもう一回寝とこおやすみなさい。くらいに思ってたかもしれないけど、なんたって子がいる。ベビーゲート揺らして遊んでる。ここで私が気を失ったらこの子はどうなる!?

気を立て直す。

 

多分30秒くらい流したけど気持ち悪すぎて立ってられなくて、タオルで指を包みこんだ、そしてソファに倒れこんだ。

 

冷や汗がすごい。普段かかない顔にもしとしと冷や汗が。全部ソファに流れる。

このソファ、まあまあいい値段する皮のやつなんだよな。無駄に濡らすのやだな。

と考える。不思議、人間てパニックな時どっか冷静な自分がいるよね。

 

ちなみにその時子は私によじ登るし顔はつねるし髪はひっぱるしこっちもこっちでてんてこまいでほんと白目向きそうだった

 

動けるようになってから絆創膏を貼ったときにはもう血も止まってて吐き気も治って、

激務中であろう夫にライン攻撃。

さぞうざかっただろうな、ニート嫁がスライサーで指を切った話。知らんがな。てなるよな。

 

もちろん帰ってからも一から全部話した。指を切った後の導線、どう倒れこんだかまで全部説明した。

慰めてほしいんじゃなくて、自分の中のパニックとトラウマにけりをつけたかっただけよ。

 

小さい時もキュウリのスライサーで指を派手に切ったのがトラウマだったんだけど、

I字型?まっすぐの剃刀のフタをあけるときに指を切ったのもトラウマ。刀を鞘から出すときに指を切っちゃう感じ

 

なぜ心配性なくせに慎重に生きれないのか

自分が失敗することが分かってるから心配性なのか。自分には自信ないけど、自分が心配する未来はあたる自信がある。

 

ああ、明日からキャベツすれるかな。

心配事とトラウマだけが増えていく。

 

とにかく私は本当に今日、すっごい痛かったのだ。

出産した時、

「この先どんなに痛いことがあってもこれに比べればマシって思えるわ!」

て言ってたよね、私。

そんなことないよ、痛いものは痛いの。

別物なのそれは。

 

そして、今日起きた出来事が今後子に起きたらどうしよう。痛いだろうな、かわいそうに、どうか一生無傷でいてくれ。と願うばかりだった

 

とゆーか七夕だったからまじで願った

家族と親族の一生の健康と幸せを。

 

おしまい